「鳥たちの河口」(野呂邦暢)

鳥たちに重ね合わせて描かれる「男」の再生の物語

「鳥たちの河口」(野呂邦暢)
(「日本文学100年の名作第6巻」)
 新潮文庫

男はうつむいて歩いた。
空は暗い。
河口の湿地帯はまだ夜である。
枯葦にたまった露が
男の下半身を濡らす。
地面はゆるやかな
上り勾配をおびて
地下水門のある小丘へつづく。
男は目的地をわきまえた者の
確信をもった足どりで…。

粗筋ではなく、
冒頭の一節を抜き出しました。
「言葉の風景画家」と呼ばれた
野呂邦暢の作品らしく、
冒頭から映画を見ているかのように
場面が視覚的に飛び込んできます。

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本作品は、一言で言えば、
傷ついた男の魂の再生の物語です。
舞台は70年代、
長崎県諫早湾の河口周辺。
主人公・「男」は組合争議で失職し、
次の就職までの猶予100日間を、
河口の干潟に集まる鳥の観測に
費やしたのです。
「男」が立ち直るような直接的な事件が
起こるわけではありません。
「男」を取り巻く環境や
「男」の心の変容を、
幾種類もの「鳥」を描くことにより、
読み手に類推させているのです。

描かれているものの一つは、
観測によって明らかになった
「鳥」たちの異常です。
この河口では見るはずのない
カラフトアオサシシギをはじめとする
渡り鳥の飛来は、
感覚器官に異常を来したのが原因と
「男」は考えます。
渡り鳥が進路を誤ったように、
自分も「人生の半ばで
道からそれてしまった」と
「男」は考えるのですが、
間違った方向に進んだのは
「男」ではなく、
取り巻く「社会」のほうと
考えるべきです。
それ以前の高度成長期、経済発展と
利益追求のために公害を生み出し、
環境を破壊していった
日本社会そのものなのでしょう。

描かれているもう一つは、
撃たれて傷ついたカスピアン・ターンに
対する治療と恢復です。
「男」が保護したカスピアン・ターンは、
カモメと間違えられて撃たれ
(希少種であり狩猟禁止)、
落下した海は
廃船の焼却処理のためにまかれた
重油まみれであり、
瀕死の状態だったのです。
「男」の細かな手当の積み重ねにより、
カスピアン・ターンは
やがて空へ回帰する日を迎えます。
これは鳥の治癒に重ね合わせ、
「男」とその「妻」の
再生を表しているのです。

最後には、「男」がハゲワシの攻撃から
身を守る様子と、
体調の好転した「妻」が河口まで
恢復したカスピアン・ターンを
連れてくる場面が描かれています。
放鳥した「妻」の
「故郷に帰れたらいいのだけど」という
つぶやきに対する「男」の返答
「鳥に故郷はない」で
物語は締めくくられます。
鳥に安らぐ故郷がないように、
「男」にも安寧の時は
訪れないのかも知れません。
しかししっかりと再出発するであろう
明るい予感に満ちています。

作者・野呂邦暢は、
本作品発表の七年後に、
42歳という若さで病没しています。
しかし豊穣な文学作品を遺しています。
これからじっくりと
味わっていきたいと思います。

〔本書収録作品一覧〕
1964|片腕 川端康成
1964|空の怪物アグイー 大江健三郎
1965|倉敷の若旦那 司馬遼太郎
1966|おさる日記 和田誠
1967|軽石 木山捷平
1967|ベトナム姐ちゃん 野坂昭如
1968|くだんのはは 小松左京
1969|幻の百花双瞳 陳舜臣
1971|お千代 池波正太郎
1971|蟻の自由 古山高麗雄
1972|球の行方 安岡章太郎
1973|鳥たちの河口 野呂邦暢

(2022.6.16)

lily yangによるPixabayからの画像

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